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4/24 夜と霧

東北地震の被害は、いろいろなところに波及しています。
東北以外の地域でも、2次災害、3次災害と広がってきています。
先日の政府や東京電力の対応を見ると目を覆いたくなります。

まだ、名古屋は直接的な被害はありませんが、
周りの経営者の話を聞くと少しづつ、そして大きく影響を受けてきています。。。

再度お亡くなりになられた方やその家族には心からお悔やみを申し上げると同時に、
決して希望を失わないようお願い申し上げます。

人生には、理不尽かつ無慈悲な不幸が襲いかかる瞬間があります。
そんな事態に直面した時、一体どうすればいいのか。

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この「夜と霧」は、そんな時のヒントを与えてくれる一冊です。
ある紹介で震災後に読んだ本ですが、とても衝撃的な本でした。

目を覆いたくなるほどの非人間的行為、野蛮と不潔とサディズムが支配する地獄
のアウシュビッツ収容所から、奇跡の生還を果たした心理学者、ヴィクトール・E・フランクル
による永遠の名著。

ナチス・ドイツの残虐行為の記録として、また戦争の悲惨さを伝える
ノンフィクションとして、長い年月、読み継がれている本だそうです。
この本には、絶望のなかで、人間がいかにして強さを持ちうるか、
そのヒントが書かれているような気もします。

本の中でそして一番心に残ったのは、(著者の言葉ではないのですが)著者がドストエフスキーの言葉を
引用した、 「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」 という言葉です。
これは真理だと感じます。

収容所の中で、自分を諦めた人間にはある「発症」がおきるそうです。
ある朝、急に着替えることも、洗面にいくことも、点呼場にでることもしない。
彼は何も恐れない、頼んでも、脅しても、叩いても、すべて徒労で終わってしまう。
自分を放棄して、糞尿にまみれて横たわったまま、もう何もしない。そして廃人になる。

苦しみを苦しみと感じられる人間は素晴らしいと思いますし、苦しみを感じられるからこそ、
幸せを幸せと感じることができるのだと私は日々感じます。

収容所の中でも、自分の内面をふりかえり、素晴らしい生き方をした方も多くいたようです。
本文から引用します。

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たとえば、強制収容所で亡くなった若い女性のこんな物語を。

これは、わたし自身が経験した物語だ。
単純でごく短いのに、完成した詩のような趣きがあり、
わたしは心をゆさぶられずにはいられない。

この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。
なのに、じつに晴れやかだった。

「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの。」

彼女はこのとおりにわたしに言った。

「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした。」

その彼女が、最期の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。

「あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友達なんです」

彼女はそう言って、病棟の窓を指さした。外ではマロニエの木が、いままさに花の盛りの時期を迎えていた。板敷きの病床の高さにかがむと、病棟の小さな窓からは、花房をふたつつけた緑の枝が見えた。
「あの木とよくおしゃべりするんです」

わたしは当惑した。彼女の言葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。譫妄状態で、ときどき幻覚におちいるのだろうか。それでわたしは、木もなにかいうんですか、とたずねた。そうだという。ではなんと?それにたいして、彼女はこう答えたのだ。
「木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって…」

いろいろと考えさせられる本でした。

悩みがあって生きているのが人間ですし、それを乗り越えれるのも人間です。
人間に希望という心の種がなくなってしまったら、廃人になってしまうのか、
生きる気力もなくなってしまいます。

震災で被災にあっている方々も、震災の2次被害にあっている方々も
何か1つでも希望をもって生きてほしいと思います。

2011年04月24日 | 社長ブログ