ひと夏の幸福論
最近、幸福について感じたことを徒然なるままに。
毎週、仕事用のシャツをドライクリーニングに出すのですが、
そこの30代後半くらいのお姉さんの対応が非常に残念なのです。
例えば、「いらっしゃいませ」もなく、目も見ずに、「会員カードありますか」と
いかにも不機嫌に、というより、投げやりに言う。
なんというか、反抗期の娘のような印象なんです。
で、ふだんは面倒だし、なるべく大きな心で放置するようにしているのですが、
先週、ついに口を開いてしまいました。
洗濯物をビニール袋に入れてもらえますか、と頼んだところ、
不機嫌そうにビニールに洗濯物を丁寧に折曲がらないように入れる、、、
のではなく、ガサガサ曲がるのも気にせず突っ込む×2(笑
「あのさ、曲がってるから。客商売で食べてるんでしょう?注意したほうがいいよ」
その瞬間。 彼女の表情。
僕は悟りました、彼女は「不幸」なんだ、と。
おそらく、高校時代から大学時代をバブルの匂いを嗅ぎながら育ち、
そこにある狂騒と華やぎ、権力と欲望、そして大きな未来への予感を呼吸していた。
彼女もまた、人並みに語れる夢があった。
そう、憧れの国際線すっちー(現CA)である。
しかし、ある日突然、バブルは弾けた。
もっとも楽しかった頃の恋人だった実業家はいつしか姿を消し、
あの頃熱心に通った英会話教室も破たんし、
クラブ仲間だった英会話講師のジェニファーもまた蒸発した。
就職氷河期に入り、すっちーはおろか、契約社員の仕事すら見つからず、
母親のやっていたクリーニング店を継ぐことに。
「私はこんなところにいるべき人間じゃないのに」
その思念が、僕の洗濯物への怨みに代わる・・・
…なんてお客さんに想像されてしまう時点で、不幸だ。
ただ、自分もそんな想いをお客様や周囲にさせていないだろうか???
人間は、意外に繊細で、優しさを求める生き物であり、
ましてお客様ともなれば、「ガサツな扱い」を受けたら、やはり気分を害するだろう。
お客様商売である以上
お客様の喜びを知ること以上に、お客様の不快を知ることが大切だと感じました。
逆に、良いサービスの一例を。
この看板、かの有名なココイチでございます。
今年は類い稀なる猛暑が続き、うだるような38度の伏見通りを歩いていたときのこと。
ココイチの前を「カレーなど食べるものか」と思いながら通り過ぎたとき、
店の前に「ご自由にお飲み下さい」と水のタンクが!
「こ、これは・・・!」と、すかさず飲む。
すると、タンクと店玄関の間に、冷たいおしぼりが!
「ご自由にお使い下さい」 すかさず2本消費。
その瞬間、「カレー喰いてぇ」
店に入ると、笑顔の女性店員、幸せそうな笑顔に気持ちが癒される。
不幸もそうだが、幸せもまた伝播する。
見事なマーケティング戦略に負けて、500gの夏カレーを注文→完食。
味まあ普通、きもち満足。
幸福なサービス、不幸なサービス。
幸福になることが、実は全ての仕事人にとって
一番大事な使命なのかも知れないと思いました。