新着情報

Information

ダメだよ、人間は熱くないと。

高校時代の親友Iが、いま横浜の福祉施設で働いています。毎週金曜になると、決まったように酒を飲みながら深夜コールをしてきます。どんなに酔っていても、仕事のことを熱く語ってくれます。

高校時代、彼とはバンドを組んでいました。もともと秀才だった彼は、高校1年の夏、ロックに目覚めてギターを始めました。真っ白で背が高く、痩せ型だったので、髪を伸ばして革ジャンを着ると、ニヒルなロックンローラー、彼は天性のアート気質を持っていました。そんな彼の夢は、プロのミュージシャン。音楽シーンをひっくり返す、という野望を抱えて、ギターをかき鳴らす彼の枯れたシャウトは魅力的でした。
 
高校卒業後、彼は沖縄の音楽専門学校に進むも、起きてはならない出来事が起こって、人間不信と鬱に襲われ、半年もたたずに退学。ふかい雪が降る地方の自宅の部屋に戻り、3年間引きこもっていました。自分を許せず、世間から逃げ、人を避け、ただ音楽だけに浸る生活。その間、実に家族とも一切コミュニケーションを取ろうとせず、ドアの前に置かれる食事だけが家族との接点でした。

しかし、彼はときどき私に手紙や録音テープを送ってくれました。当時私はアメリカにいたのですが、鬱まっしぐらだった彼のテープと手紙には「熱」が感じられました。心の叫び、痛み、虚無感、優しさ、そして彼の愛するロックンロール・ミュージシャン達の言葉。ある日、届いた手紙を読んで私はびっくりしました!そこに、彼が自殺をしようとした経緯が書かれていました。突然訪れた、母親の死。 数年間言葉をかわしていなかった彼の母親がガンになり、この世を去った、と。自分のせいだ、と。葬式の日、彼は遠くの湖のほとりにいました。彼は死のうとして山奥まで歩いてきたんだけど、死ねなかったんだ、と。

私が日本に帰ってきたときに彼は3年間こもった部屋を出て、東京にきました。一緒にバンドをやるために、私の部屋に転がり込んできたのです。しかし、彼は長いあいだ社会と全く縁を切っていたため、平日のコンビニ7-11バイトすら苦痛で、週に3日しか出勤せず、あとの時間はひたすらギターを弾いたり、本を読んだり、テレビを見たりしているばかり。食費もろくに稼げないので、コンビニ7-11の賞味期限が切れた弁当を毎日もらってくる生活。ひとかけらの野望と幻想の残骸以外は、その6畳部屋にはなにもありませんでした。
 
やがて、バンドは解散。 彼はまた寒い実家に戻りました。そのときは、今生の別れと思っていたのですが、彼の父が突如リストラに会い、東京へ出稼ぎに来ることになったため、母の死後は父に心を開くようになっていた彼は再び東京へ。日野というへんぴな場所に一人住み、またコンビニ7-11でバイトを始めました。ある日、彼はWebの自殺願望のある人が集まるコミュニティで、夫から暴力を受け、自分も暴力をふるって夫を入院させた女性と出会います。数週間後には、彼女と彼女の娘が彼の家に転がり込んでいました。
 
初めての家族。やがて、Iは家族を守るため、父親の紹介でコンビニから福祉の仕事へと転職。当時、私は大手企業で業績をあげ、生意気にエリート風を吹かせていました。「ちゃんと続くのかぁ?」とか言いながら、喜ぶ彼の就職を祝ったのを覚えてます。しかし、彼の家族生活は長くは続きませんでした。2年程経ったある日、入院先から電話がかかってきました。彼女と口論し、寝ているときに刃物で刺された、と。この一件で、彼女は娘と一緒に実家の両親に引き取られました。
 
彼はまた、ひとりになりました。でも、家族のためだったはずの仕事はやめませんでした。世の中を否定し、やがてその世の中から逃げていた彼は、ホームの老人達と関わり、彼らと民謡をギターで歌い、飲みに行くたびに、彼らのことを語るようになっていました。失いつづけてきた彼を支える大事なもの、目の前の仕事への使命感。元の場所には逃げない、という小さいけど、確かな決意。
 
いま、彼はホーム現場の調整役となるサブリーダーを任されています。部下だった頃にはマネジャーの無能ばかりを嘆いていましたが、人の間に入り、また管理する立場に立って初めて、自分の未熟さと、批判していた元マネジャーの底力がわかったそうです。革ジャンに金色の長髪をなびかせていたロックンローラーの面影はありませんが、それでも彼の魂はロック(転がる“希望の”石)だと私は感じます。

「毎日が戦いだよ」  先週の電話での彼のひとこと。

 「熱いじゃん」

「ダメだよ、人間は熱くないと」

2010年09月22日 | スタッフブログ